この資料は、九州大学の大学院向け教育プログラムである「未来共創リーダー育成プログラム」 の一部で、一般向けに準備した発表資料を、視覚に障害があるかたむけに文字にしたものです。 当日の話を文字起こししたものではなく、発表資料を元に文書化したものです。 なお、読み上げソフトの読み上げをスムーズに行うため、 「まなキキプロジェクト」(津田塾大学インクルーシブ教育支援室Learning Crisis研究会)により提供された仕組みを利用しています。

発表時間は20分で、プレゼン資料のページ数としては16枚から構成されます。 6つのセクションに分かれて、各セクションは2, 3ページ程度です。 各セクションがHTMLの見出し1に対応し、 各スライドがHTMLの見出し2に対応しています。

タイトル:変革の定義と理論的評価について ホーム

本発表のタイトルは「変革の定義と理論的評価について」です。 現在DXという言葉がよく使われます。 この言葉はdigital transformationの略語で、直訳するとデジタルな変革という意味です。 ただ、厳密な定義がなく意味が分かりづらいという欠点があります。 この発表では変革を厳密に定義し、その意味をクリアに分かるようにします。

プレゼン全体のメッセージは (1)革新が生まれにくい場所というのは失敗や違いなどを許容しない不寛容な所であるということ、 (2)目新しいものへの拒否反応は、個人の資質ではなく、仕組みがあり、その仕組みを紹介します。

「定義」というと堅苦しいイメージがあるかもしれませんが、実は良い定義は 豊かなイメージを運んでくれます。 次のセクションでは、定義を含め、そもそも理論とは何かを説明します。

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導入:理論のチカラ

では、最初のセクションは、話の導入としてそもそも理論というのは どういうものなのか、 どういう性質があるかについて説明します。

そもそも理論とは?

理論という言葉自体、よく聞く割には、あまり実体がよく分かりません。 この発表では、理論とは前提と定理をあわせたものと定義します。 前提の中には、すでに示された事実や、この理論で用いる新しい定義などが含まれます。 一方、これらの前提から導かれるものが定理です。

導くというのは、証明するという意味です。 証明というのは、一歩一歩論理を積み立て得られるもので、 論理的な飛躍があってはいけません。

身近なところでは、中学数学で習う図形の証明問題をイメージするとよいでしょう。 例えば、三角形の内角の和は180度であることは、すでに示されていることであり、 前提となります。 これらの前提を用いて証明をしていきます。

理論、イコール、前提プラス定理という定義自体、これから構築していく理論の前提となっていることにも注意しましょう。

理論をこのように定義した場合、前提を認めれば、得られる定理は証明されたものであり、 常に正しいという性質があります。 これは、平均的には差があるといった統計的な主張とは異なることに注意しましょう。

定義の評価

ほかの性質として、前提はあくまで前提であり、この理論の中で、前提が正しいかどうかは 証明できません。 言い方を変えると、前提が正しいかどうかは、その理論の範囲の外にあります。

その意味で、勝手に定義をすることが可能であり、 導入した定義が良いものかどうか、その評価方法が別に必要になります。

数学や物理学の分野では、英語でfruitfullと言われる考え方がよく使われます。 fruitfullとは、直訳すると実り多いことという意味で、 導入した定義により、多くの有用な定理が示せる、つまり、実りが多い場合は、 導入した定義が良いからだと考えるわけです。

例えば、物理学の分野の有名な理論である相対性理論において、 アインシュタインはどんな動き方をしていても、光の速度が一定であるということを前提にしました。 それまでの理論では、自分が運転している車から別の車を見る時、 自分が運転している向きや速さに応じて、別の車の速度は変化するものでした。 その意味で、光の速度が一定という前提は従来の理論ではなかったものです。 この前提自体を相対性理論で証明したわけではなく、 このように仮定することで、これまでの理論では説明できないことが説明できるように なることをアインシュタインは示しました。 つまりfruitfullであり、元の前提も正しいのだろうという判断になるわけです。

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準備

このセクションでは、この後構築する理論の前提を準備します。

ヒトが持つ二つの思考システム

このページでは、事実としてヒトが持つ二つの思考システムを紹介します。 これらは心理学ではよく知られた事実で、例えば、カーネマンが書いた著書 「ファスト&スロー」などにも書いてあります。

思考システムの一つ目は直感的思考で、先程の著書から引用するとこれは 「自動的に高速で働き、努力はまったく不要か、必要であってもわずかである。 また、自分のほうからコントロールしている感覚は一切ない。」という性質があります。

触覚や嗅覚などの五感、喜怒哀楽の感情、反射などは、自動的で高速に動き、 まさに直感的思考になります。 一般的な思考に対するイメージと異なるかもしれませんが、ここではこれらも思考と考えます。

他に、後天的に獲得した能力も自動的に働くため、直感的思考になります。 例えば日本人であれば、家に入る時に靴を脱ぐのは自然に、つまり、無意識に行いますが、 これも直感的思考と言えます。

二つの思考システムのもう一つは、論理的思考で、こちらが一般的な思考のイメージ と近いでしょう。 例えば、複雑な計算をするとか、購入するスマホを比較検討するとか、 注意力が必要で、同時に複数はできないことが特徴です。

直感的思考の二つの側面

このページでは、さきほどの二つの思考システムのうち、 DXに深く関連する直感的思考の側面について説明します。

まず、閃きやインスピレーションは、自分で制御できない、つまり、自動的に働くもので、 その意味で 典型的てんけいてきな直感的思考の結果と言えます。

直感的思考のもう一つの側面は、常識や慣習、文化といった、 日常的に馴染みがあるけど、厳密に定義することが難しい概念も、 自動的な認識、つまり、直感的な思考の現れと思えば、統一的な視点が得られる ということです。

二つの側面のどちらも自動的であることが共通しています。

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革新の定義

このセクションでは、革新という概念を厳密に定義し、新たに構築する理論の前提とします。

「理論」としての日常

自動的に動く直感的思考は、日常の様々な場面で無意識に働きます。 そのため、常識や慣習と呼ばれ、ネガティブな場合だとバイアスや偏見と呼ばれることもあります。

このような直感的思考は、我々の行動や選択の基礎となっていることから、 直感的思考を理論における前提と考え、 行動や選択を理論における定理、つまり、導かれる結論と考えることにします。

このように考えるとどういう利点があるのか、簡単に評価してみます。 まず、地域、コミュニティ、組織によって常識が異なり、それに応じて 異なる選択が行われていますが、このような状況をうまく表していると言えます。

注意してもらいたいのは、文化や常識といったことは定義が難しいため、 ここで使う意味での理論の構成要素としては用いることができません。 ここでは直感的思考ということを使うことで、こういった難しい点を回避しています。

もう一つ注意してもらいたい点は、 同じ文化であっても、それぞれの個性はあり、まったく同じ前提とは限りませんが、 もともと直感的思考も、完全に無意識なものから、修得途中で半分無意識にできるけど といったこともあるので、このような個性も十分に表現できます。

定義:改善と革新

このページでは、これまでに準備したことを使って、 実際に改善と革新という、 正反対せいはんたいの概念を定義していきます。

まず、改善については、すでにある理論の前提を用いて新しい定理を示すことと定義します。 ここでの前提は、常識や慣習、バイアスなど自動的に起こる認知、つまり、直感的な思考であり、 この前提の部分はそのままで、新しい事実を証明するという意味です。

一方、革新を、新しい前提を導入し、新しい理論を作ることと定義します。 学術的な例としては、アインシュタインの相対性理論が有名で、 この理論では「光の速度が一定」というのを前提としました。 このような前提にすると、光の速度に近いスピードで動いていると 時間の進み方が遅くなるといった、従来では考えられなかった結論が導かれます。 相対論では、このように得られる結果があまりに非常識で、結果のほうに目が うばわれがち ですが、この結果がでたのは前提を新しくしたからです。

日常的な例では、スマホの普及が前提をひっくり返したのではないかと思います。 スマホに似たガジェットは、iPhone以前にも数多くあったのですが、 これらはコンピュータを前提として、これをいかに小さく、持ち運べるようにするか という考えで作られていたと思います。 一方で、iPhoneのお披露目でジョブズが電話、音楽プレイヤー、ネットにつながる機器を あわせたものと紹介していましたが、ここにはコンピュータ、パソコンという言葉が なく、別の前提を持ってきたと言えるのではないでしょうか。

新しい前提の理論に関する注意ですが、新しい理論と古い理論は、一般的には どちらが良いかと結論づけることはできません。 単に違うというだけです。 もちろん例外もあって、相対性理論の場合は、古い理論であるニュートン力学を 含んでいるので、この場合は相対性理論のほうがニュートン力学より良いと言えます。

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定義の評価

先に述べたように、理論において、定義は勝手にして良いものでした。 そのため、新しい定義が良いかどうかは、別に評価が必要でした。 このセクションでは、さきほど定義した革新や改善を評価していきます。

改善と革新の導き方

このページでは、さきほど定義した改善と革新から、日常的にイメージする 改善や革新がどのように導かれるのか説明します。

まず、改善の定義をおさらいしましょう。 改善は、既にある理論の前提を用いて、新しい事実を示すことと定義されました。 新しい事実を示すためには、前提となる事実や定義を用い、最終的な結論を得ます。

証明の途中では、論理的に飛躍がないように一歩一歩事実を証明する必要があり、 注意力を要すため、自動的な認知ではない、つまり、論理的思考によるものと言えます。

また、飛躍がないという意味で、連続的な変化であもあります。 つまり、これまでの常識や慣習から地続きでつながっており、 改善のイメージとも合致します。

次に、革新ですが、こちらは新しい前提を導入して、新しい理論を作ると定義しました。 前提が異なるので、これまでの理論では、正しさは示せません。 そのため、これまでの理論からは論理的な飛躍が必要です。 この時、もう一つの思考システムである直感的思考が用いられます。 これには、次のページで説明する閃きが用いられます。

閃きの大まかなメカニズム

前のページでは、閃きが論理的な飛躍に用いられると言いましたが、 実際、閃きが不意ふい に前後の脈略関係なしに得られた経験を持つ人もいるでしょう。

閃きというと、一部の天才しかできないというイメージがあるかもしれませんが、 心理学においては、子どもが犬を見てワンワンということと本質的には同じと考えられていて、 誰にでもできることであると言われています。

この時、脳内の記憶と記憶が自動的につなぎあわされていて、 これ自体は誰にでも起こるのですが、 例えば、リンゴが落ちるのを見て、万有引力の法則を閃くためには、 引力や重力、物理的な力などについて考えていないとできません。 つまり、閃くことは誰にでもできるものの、同じ閃きが得られるとは限らないというわけです。 リンゴが落ちるのを見て、ニュートンが万有引力の法則を閃いたのは、 引力や力学といったことについて、それまでに十分に考えていたからでしょう。

閃きのもう一つの特徴は、リラックスした状態が重要であることが経験的に分かっています。 リラックスした脳の状態と閃いた時の脳の状態が似ている ことからも、リラックスが重要ではないかと言われています。

ケーススタディ:葉っぱビジネス

では、このページでは、具体的な革新の例を見ていきます。 このページの内容は徳島県上勝町のJA職員だった 横石知二よこいしともじ さんが書いた 「そうだ、葉っぱを売ろう!」という本を元にしています。

横石よこいしさんは、 高齢化が進み失業率の高い上勝町のJAに勤務しており、 組合員の農家さんにどんな作物を育ててもらおうかを考えていました。 ある時、居酒屋さんで近くの席にいた若い女性が、 料理に添えてあったツマモノ、つまり、葉っぱを見て 「キレイ」といってハンカチに丁寧につつんで持ち帰るのを見ました。

横石よこいしさん は、こんな葉っぱ、上勝に行けばいくらでもあるのに と思いながら見ていましたが、「そうだ!葉っぱだ!葉っぱがあった!葉っぱを売ろう!」 と閃きます。

残念ながら、閃いたからといって、話がスムーズに進んだわけではなく、 上勝の人からは、葉っぱのことを地面に落ちたら捨てるゴミという意味で 「ゴミを売ってまで儲けたいのか」と言われ、 当初ほとんど協力してくれる人はいませんでした。 このことは、周囲の人はこれまでの常識を前提としており、 葉っぱが売れるわけない、そのようなものは商売のタネになるものではない と思ったことを意味しています。

このような、なぜ周囲の人が反対するのかも説明できます。 横石よこいしさん は、閃きによって新しい前提を得ているわけですが、 周囲の人は、まだ古い前提で考えており、反対することは彼らの前提では 論理的に正しいからです。

このような反対にもかかわらず、 葉っぱビジネスは小さな町に大変革をもたらし、 年間、数億の売上をもたらしました。 この例の 横石よこいしさん のように、革新の旗振り役である人は、突拍子もないことを 言いだしますが、それは革新の元となる閃きが論理的ではない直感的思考 であることに由来します。

革新と改善を定義したことから、このように、従来の理論では説明されていなかったことが 説明できました。

「革新」から見る失敗と試行錯誤

さて、さきほどの 横石よこいしさん 限らず、大きな変革をもたらした人は、 実は何度も失敗を乗り越えていることが分かっています。 このページでは、失敗と試行錯誤について考えてみます。

まず、改善の場合は、あらかじめ前提が与えられていますが、 目的も一種の前提であることに注意しましょう。 前提があるため、様々な行動や取り組みが評価可能です。 逆にいうと、前提がないと評価できないとも言えます。 そのため、失敗は失敗であり、良いことではありません。

一方、革新の場合は、新しい前提を作る作業であり、これまでの理論では評価できません。 そのため、試行錯誤が非常に重要で、失敗が大きな価値を持ちます。 例えば、経営学で非常に有名なドラッカーはその著書で 『人は優れているほど多くの間違いを犯す。優れているほど新しいことを行うからである。』 と言ってます。

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「まとめ」にかえて

これが最後のページです。 新たに定義をすることで、旗振り役の異常性など、従来説明できなかったことを説明可能になりました。

提示されたアイデアが「良さそう」と思える場合、これは改善に留まる可能性が高いといえます。 なぜなら、既存の前提で善し悪しが判断できるからです。 このこと自体が、今回の理論の良い点です。

また、革新は閃きが起点となっており、閃き自体は自分で得たいと思って得られるわけでありません。 つまり、コントロールできません。 しかし、革新を生み出しやすい風土を準備することはできます。 閃き自体は意識的に起こすことはできなくても、誰かが閃いた時に、 これに反対して新しいアイデアを殺してしまわないことは意識してできるでしょう。 つまり、周囲が違うもの、新しいものを受け入れるような空気であれば、 新しいアイデアが生き残る可能性が高くなります。

そもそも、閃きは誰にでもできるわけで、重要なことは「つながる可能性がある要素」です。 つまり、違う考え、違う価値観などが重要になります。 その意味で、インクルーシブな社会であれば、閃きが生み出されやすいと言えます。

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